あれが出来る前に石川へ行こう(その2)
2014年12月30日
和倉温泉駅
天気は小雨・・・
と思って穴水行きの列車に乗ってまもなく、外が真っ暗、超豪雨!雷!
車窓から海に落ちる雷を何度も何度も・・・
穴水駅につく頃には雨もやや小ぶりになって雷も無し。穴水からバスに乗ってさらに北上して
旧輪島駅に到着
輪島駅の一部が保存されています。シベリアには行けませんが。
朝市は特に興味が無いので通りを通過するだけ、
御祭神:底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后
本社は延喜式内鳳至比古神社と伝へられ、人皇十六代仁徳天皇十二年に住吉大神を能登に初めて奉斎し、海上鎮護や万民守護の大神と尊崇せられている神社。 当初は大屋庄御霊地山に鎮座されていたのものの、近古水難や兵乱によって現在の場所に遷座したそうです。 昔は大宮と俗称せられていた事から例祭を大宮祭と称してその祭礼市を大宮市とするなど産土神としても尊崇されています
住吉神社を後にしてお次へ
御祭神:田心姫命
輪島から沖にある舳倉島に鎮座する奥津比咩神社の里宮で、その奥津比咩神社は舳倉権現とも称したと伝えられていて、他に蛭子社、琴平社、弁天社、祇園社、大和田社、無他社、神明社の七つの末社も鎮座されています。
中世末期に筑前国の鐘ケ崎から渡ってきた海士や兵衛十数名が舳倉島で漁業を営むようになってからは当社を尊崇して故郷の宗像大社の信仰と相俟って産土神と仰ぐようになったそうです。 その後、漁業の近代化や多様化などにより昭和50年にこの場所に奥津比咩神社の里宮を新築し、さらに舳倉島の七つ島の神々の御分霊を勧請して輪島における氏神信仰の拠点となりました
境内は年末年始の準備をされていたのでささっと参拝を済ませて、先へと
坂をくねくね進み、駐車場に到達して階段を登って
到着
灯台を目指して行った時に、この案内板看板があった時のやった感が癖になりそう・・・
さて、肝心の灯台はこちら
周りが狭いのでここでは見上げるだけ、来る道中に上部が見えるので全体はそれで我慢するしかないようです
灯台からは次に向かう鴨ヶ浦が見えました
坂を下って海岸線を歩いて鴨ヶ浦へ
ここでは波の花が見ることが出来るのですが、この日はさっぱり。
輪島の波の花のスポットとしては曽々木方面の方が発生率が高いようですが
鴨ヶ浦を散策してたら岩場で足を滑らせてこけそうになって海に\(^o^)/
ってなりかけました。。。
いや、滑りそうだなって、注意はしてたんですけどね、こけてたらそのまま滑って落ちてた
落ちても浅瀬だったとはいえども半身くらいの深さはりそうだったし・・・
怖くなって鴨ヶ浦を切り上げて移動を開始
道中で見かけた神社
そこから少し住宅街に入って行くと
御祭神:少彦名神、菅原道真、伊弉冉尊、大山咋神
創祀年代は不詳
少彦名神を祀り、当時は天神社・手間天神社と称していて1154年京都北野から菅公を勧請して天満宮と称するように。
1186年に地頭職長谷部信連が社殿社領を寄進、日本で初めて作った鳴る音が異なる形の変わった鐘を蔵したといわれているそうですが、1832年の津波、1690年の大火で社宝等を焼失したそうです
当初は本社殿の左右に熊野社と日吉社の社殿がありましたが、1842年に現在の本殿内に併祀、明治の初年に輪島前天神社に改称されました
雨も降りだしたし、神社の前にはバス停があるので・・・って思いましたが時間の関係で歩いて次へ
輪島市内は周遊バスが走ってるのでそれを使っても良かったんですが、いかんせん時間が合わない。
再び朝市の通りを通過して突き当りにある重茂神社へ
重蔵神社
御祭神:天之冬衣命、大国主命
創建は崇神天皇の代といわれ、延喜式の神名帳に載せられる鳳至比古神社、または辺津比咩神社にあてられてきた神社。 1683年及び1782年には社号争論があり、爾来重蔵宮となったものの後に重蔵神社となったそうです
本殿は1906年に特別保護国宝建造物に指定されましたが、1910年に火災で焼失。現在の本殿や拝殿はその後に再建されたものになります
芸能、スポーツ、学問の神を祀る神社
こちらは地震除けの守護神が祀られています
重蔵神社の次は輪島駅に戻りバスで白米へ向かう予定、しかしコースタイムを甘く見積もってたせいで2時間も待ち時間が確定
当初は重蔵神社のあとは輪島駅に戻ってバスで曽々木と白米へ向かう予定で、その時刻に間に合わなければ白米に行く予定でした。でも時間的にムリだろうと曽々木を諦めてました
が、その当初予定の曽々木へのバスが数分後に輪島駅を出る、しかし明らかに間に合わない、2時間待ち・・・この数分の差で2時間・・・仕方ないとはいえ曽々木はやっぱり行きたかった・・・ぐぬぬ・・・
ぁぁ、神社前にバス停なんて無いよなぁ
・・・あったよ・・・でも白米方面に行くのが通るとは限らないしなぁ
す・・・数分後に来るじゃないですか(´;ω;`)コンチクショウ
てなわけで曽々木に到着
曽々木といえば波の花、波の花は冬の能登の風物詩
波の花は11月中旬~2月頃の海が荒れていて波が高く寒い日に現れる泡
この泡は海水中の植物性プランクトンの粘液が岩にぶつかるたびに空気を含んで白い泡状になった物です
海水じゃなくプランクトンなので、時間が経つと黄色くなります。そして服に着くとシミになったりします。臭いもします、それなりの臭いらしい・・・
ニュースで泡が乱舞してるのを見たことあるけど、この周辺に住んでる方ってこの時期は大変な・・・
ちなみに、波の花は能登以外でも見ることはできます
遊歩道が整備されているのでそれに沿って東のほうへ
曽々木トンネルは能登地震によって入口周辺等が崩落して現在は通行止めとなり新しいトンネルが建設されました
旧道はここから左へ、波の花遊歩道も左へと続きます
遊歩道はこのトンネルの左側へ
遊歩道は昔の道の一部等を使用したものらしく、岩場を歩くように通っています
このトンネルの道の下の先にも昔の道が続いていて、自動照明で歩くことが出来るようなのですがそこまで調べてないので今回はスルーしてそのまま海沿いを進みます
ハート型になるように照明が置かれているという物、丁寧にカメラ置き場もありました
ここからさらに道は東へと延びていますが少し進むと
ここからは崩落で通行止め。手すりがなぎ倒されてるし、遠くに大きな岩が転がり落ちて道を塞いでるし・・・
まぁそもそも垂水の滝まで行くとこまでは考えてないのでバス停へと引き返します
この道も能登地震で大きな被害があったようですし、整備しなおしてもまた崩れてもおかしくないしなぁ
だってこんな断崖だもん・・・
道を戻ってると波の花が発生しているポイントが
曽々木のバス停に戻って白米へ
白米と言えば
白米の千枚田は水田一面あたりの面積は平均約20㎡と狭く、全体の広さは約3.8ヘクタールに水田が1004枚ある棚田です
散策路も整備されていて順路を縫うように歩きながら散策
この時期は夜にあぜ道をライトアップするイベントも行われているのでライトが設置されています
ここを開拓した理由は色々とあるんでしょうけど、4列程度の小さく細い田んぼもあったりと当時の方々はそうせざる負えない相当な苦労があったんだろうなぁ、 これだけ湖風にさらされると塩害もありそうな気もするし
ほぼ下まで降りて上り返そうとしたところで天候が悪化、霰が海風に乗ってたたきつけてくる、まさに東尋坊デジャブ
合羽を羽織って足早に上にある道の駅へと戻りました。
しばらくして弱まったものの雷も来そうだったのでそのまま道の駅でゆっくりゆったりして、バス停に戻ってバスに乗って輪島駅へ。 輪島市内に向かう道中はすごい雷雨でしたが輪島市内中心では雨も止んでいました。
そんで和倉に戻って1泊。
その3へ
ページ上へ
和倉温泉駅
駅舎
穴水方面
七尾方面
天気は小雨・・・
と思って穴水行きの列車に乗ってまもなく、外が真っ暗、超豪雨!雷!
車窓から海に落ちる雷を何度も何度も・・・
穴水駅につく頃には雨もやや小ぶりになって雷も無し。穴水からバスに乗ってさらに北上して
旧輪島駅に到着
よし、シベリアにいk
輪島駅の一部が保存されています。シベリアには行けませんが。
朝市
朝市は特に興味が無いので通りを通過するだけ、
住吉神社
御祭神:底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后
本社は延喜式内鳳至比古神社と伝へられ、人皇十六代仁徳天皇十二年に住吉大神を能登に初めて奉斎し、海上鎮護や万民守護の大神と尊崇せられている神社。 当初は大屋庄御霊地山に鎮座されていたのものの、近古水難や兵乱によって現在の場所に遷座したそうです。 昔は大宮と俗称せられていた事から例祭を大宮祭と称してその祭礼市を大宮市とするなど産土神としても尊崇されています
住吉神社を後にしてお次へ
奥津比咩神社 里宮
輪島から沖にある舳倉島に鎮座する奥津比咩神社の里宮で、その奥津比咩神社は舳倉権現とも称したと伝えられていて、他に蛭子社、琴平社、弁天社、祇園社、大和田社、無他社、神明社の七つの末社も鎮座されています。
中世末期に筑前国の鐘ケ崎から渡ってきた海士や兵衛十数名が舳倉島で漁業を営むようになってからは当社を尊崇して故郷の宗像大社の信仰と相俟って産土神と仰ぐようになったそうです。 その後、漁業の近代化や多様化などにより昭和50年にこの場所に奥津比咩神社の里宮を新築し、さらに舳倉島の七つ島の神々の御分霊を勧請して輪島における氏神信仰の拠点となりました
境内は年末年始の準備をされていたのでささっと参拝を済ませて、先へと
坂をくねくね進み、駐車場に到達して階段を登って
到着
灯台を目指して行った時に、この案内板看板があった時のやった感が癖になりそう・・・
さて、肝心の灯台はこちら
竜ヶ崎灯台
周りが狭いのでここでは見上げるだけ、来る道中に上部が見えるので全体はそれで我慢するしかないようです
灯台からは次に向かう鴨ヶ浦が見えました
道中から見る竜ヶ崎灯台
坂を下って海岸線を歩いて鴨ヶ浦へ
鴨ヶ浦
ここでは波の花が見ることが出来るのですが、この日はさっぱり。
輪島の波の花のスポットとしては曽々木方面の方が発生率が高いようですが
鴨ヶ浦を散策してたら岩場で足を滑らせてこけそうになって海に\(^o^)/
ってなりかけました。。。
いや、滑りそうだなって、注意はしてたんですけどね、こけてたらそのまま滑って落ちてた
落ちても浅瀬だったとはいえども半身くらいの深さはりそうだったし・・・
怖くなって鴨ヶ浦を切り上げて移動を開始
道中で見かけた神社
天満宮・弁天社
そこから少し住宅街に入って行くと
輪島前神社
拝殿
御祭神:少彦名神、菅原道真、伊弉冉尊、大山咋神
創祀年代は不詳
少彦名神を祀り、当時は天神社・手間天神社と称していて1154年京都北野から菅公を勧請して天満宮と称するように。
1186年に地頭職長谷部信連が社殿社領を寄進、日本で初めて作った鳴る音が異なる形の変わった鐘を蔵したといわれているそうですが、1832年の津波、1690年の大火で社宝等を焼失したそうです
当初は本社殿の左右に熊野社と日吉社の社殿がありましたが、1842年に現在の本殿内に併祀、明治の初年に輪島前天神社に改称されました
蛭子社
雨も降りだしたし、神社の前にはバス停があるので・・・って思いましたが時間の関係で歩いて次へ
輪島市内は周遊バスが走ってるのでそれを使っても良かったんですが、いかんせん時間が合わない。
再び朝市の通りを通過して突き当りにある重茂神社へ
重蔵神社
御祭神:天之冬衣命、大国主命
創建は崇神天皇の代といわれ、延喜式の神名帳に載せられる鳳至比古神社、または辺津比咩神社にあてられてきた神社。 1683年及び1782年には社号争論があり、爾来重蔵宮となったものの後に重蔵神社となったそうです
本殿は1906年に特別保護国宝建造物に指定されましたが、1910年に火災で焼失。現在の本殿や拝殿はその後に再建されたものになります
金比羅社
稲荷神社
たぬき天神
要石
重蔵神社の次は輪島駅に戻りバスで白米へ向かう予定、しかしコースタイムを甘く見積もってたせいで2時間も待ち時間が確定
当初は重蔵神社のあとは輪島駅に戻ってバスで曽々木と白米へ向かう予定で、その時刻に間に合わなければ白米に行く予定でした。でも時間的にムリだろうと曽々木を諦めてました
が、その当初予定の曽々木へのバスが数分後に輪島駅を出る、しかし明らかに間に合わない、2時間待ち・・・この数分の差で2時間・・・仕方ないとはいえ曽々木はやっぱり行きたかった・・・ぐぬぬ・・・
ぁぁ、神社前にバス停なんて無いよなぁ
・・・あったよ・・・でも白米方面に行くのが通るとは限らないしなぁ
す・・・数分後に来るじゃないですか(´;ω;`)コンチクショウ
てなわけで曽々木に到着
曽々木といえば波の花、波の花は冬の能登の風物詩
波の花は11月中旬~2月頃の海が荒れていて波が高く寒い日に現れる泡
この泡は海水中の植物性プランクトンの粘液が岩にぶつかるたびに空気を含んで白い泡状になった物です
海水じゃなくプランクトンなので、時間が経つと黄色くなります。そして服に着くとシミになったりします。臭いもします、それなりの臭いらしい・・・
ニュースで泡が乱舞してるのを見たことあるけど、この周辺に住んでる方ってこの時期は大変な・・・
ちなみに、波の花は能登以外でも見ることはできます
波の花
遊歩道が整備されているのでそれに沿って東のほうへ
現在の曽々木トンネル
曽々木トンネルは能登地震によって入口周辺等が崩落して現在は通行止めとなり新しいトンネルが建設されました
旧道はここから左へ、波の花遊歩道も左へと続きます
旧曽々木トンネル
遊歩道はこのトンネルの左側へ
遊歩道は昔の道の一部等を使用したものらしく、岩場を歩くように通っています
上が旧曽々木トンネル
接吻トンネルとかいうもの
ここからさらに道は東へと延びていますが少し進むと
落ちたら死ぬ道が出現
ここからは崩落で通行止め。手すりがなぎ倒されてるし、遠くに大きな岩が転がり落ちて道を塞いでるし・・・
まぁそもそも垂水の滝まで行くとこまでは考えてないのでバス停へと引き返します
この道も能登地震で大きな被害があったようですし、整備しなおしてもまた崩れてもおかしくないしなぁ
だってこんな断崖だもん・・・
道を戻ってると波の花が発生しているポイントが
曽々木のバス停に戻って白米へ
白米と言えば
白米の千枚田
散策路も整備されていて順路を縫うように歩きながら散策
この時期は夜にあぜ道をライトアップするイベントも行われているのでライトが設置されています
ここを開拓した理由は色々とあるんでしょうけど、4列程度の小さく細い田んぼもあったりと当時の方々はそうせざる負えない相当な苦労があったんだろうなぁ、 これだけ湖風にさらされると塩害もありそうな気もするし
ほぼ下まで降りて上り返そうとしたところで天候が悪化、霰が海風に乗ってたたきつけてくる、まさに東尋坊デジャブ
合羽を羽織って足早に上にある道の駅へと戻りました。
しばらくして弱まったものの雷も来そうだったのでそのまま道の駅でゆっくりゆったりして、バス停に戻ってバスに乗って輪島駅へ。 輪島市内に向かう道中はすごい雷雨でしたが輪島市内中心では雨も止んでいました。
そんで和倉に戻って1泊。
その3へ
ページ上へ