ぐりふの隠れきっていない隠れ家

蔵王とキツネとあの場所へ(その3)
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  • その3
  • 2014年08月14日

    日本三景の松島へ、
    松島の最寄り駅は仙石線の松島海岸駅ですが、東北本線の松島駅へ

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    松島駅


    理由は単純、松島を歩くためで同じ様にここから歩いていく方もそこそこ居ました

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    新富山展望台

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    なんというしまなみ海ry

    展望台をおりて近くの神社へ

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    愛宕神社

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    社殿


    瑞巌寺を北側から入って境内へ

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    参道の杉並木


    約1000本ほどの杉があったそうですが、震災の津波は参道の3/4くらいまで到達
    それによって塩害が発生し、立ち枯れた杉が300本ほど伐採されました。
    残っている杉も地盤沈下などで塩害を受けているそうで今後は土壌や排水などの対策が必要になるそうです

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    洞窟群


    瑞巌寺の本堂は現在平成の大修理中で平成30年まで。平成28年春からは本堂の拝観が再開される予定です

    海沿いに出て五大堂へ

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    透かし橋

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    五大堂

    807年に坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立、
    828年に慈覚大師円仁が瑞巌寺の前身となる延福寺を開基した際に五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれています。
    現在の五大堂は伊達政宗が1604年に創建したものになります

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    五大堂の次は福浦島へ

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    全長252mの朱色の橋を渡って福浦島へ

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    福浦橋


    横を見ると爪痕が…

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    全体的にはかなり綺麗に復旧されていて見ようとしないと見えない様にはなっています
    被害が周囲に比べて少なかったとはいえまだ完全に戻ってるわけでは無いんですよね…

    福浦島に渡って島を周遊

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    弁天堂


    福浦島のお次は松島湾の遊覧船、それで塩竈へと向かいます

    船上で気づいた、

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    観瀾亭


    完全に頭から抜けていたよ、あの場所…(´;ω;`)ウッ…

    まぁ松島に行くかどうかもこの前日に確定したりしたから仕方ないですがね
    石巻とかにも行ってみたいのでまた思い立ったら来よう

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    千貫島

    伊達政宗公が湾内を遊覧した際にこの島の形のを気に入って
    「あの島を余の館に運ぶ者あらば、銭千貫を遣わす」
    と言った事から千貫島と呼ばれています

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    鎧島

    波のような独特の形をしてて存在感が強い

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    鐘島

    断層の弱い部分が侵食されて出来た洞門が4つ、この島に大波が打ち寄せると鐘を打ったように聞こえるのが名前の由来

    小藻根島には長命穴という通り抜けると寿命が伸びると言われていた穴があったのですが、震災によって崩落してしまいました
    松島湾では複数の島で崩落などの被害を受けたそうです
    仁王島はよく無事だったなとか思ったのですがこちらは補強されていたようで無事だったようです

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    仁王島


    はるか向こうにも島が

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    なんとなく瀬戸内のしまなみに似てるなーとか思っていたんですが、船に乗って違いはわかりました。

    松島は松島

    松島を出て50分ほどで塩竈に到着

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    マリンゲートの映像は報道などで何度も見ました
    でも塩竈はここだけが前に出てしまって市街地の状況ってあまり知られていない気がします

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    塩竈といえばお寿司が有名、ということでお昼にうに食べました
    ほぅ…美味しい…また時期が違えば違うものが食べれるし石巻とか松島また訪ねたいのでこれはもうやるしか(`・ω・´)

    塩竈への目的は鹽竈神社への参拝、市街地を歩いて向かいます。
    まずはその途中にある鹽竈神社の境外末社、御釜神社に参拝

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    御釜神社

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    御祭神:鹽土老翁神

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    塩土老翁神が製塩を伝えたとされる神釜と言われる4つの釜があります。
    この釜で海水を煮て製塩を行っていたと言うことが1300年前の書物に残っています
    釜の水が変色すると災害・異変が起きると伝えられていて、伊達治家記録には十数回起き
    その時には代わりの者を本社に遣わしてご祈祷をさせ御釜神社に参拝する風習があったそうです。
    毎年7月にこの釜で藻塩焼神事が行われています

    市街地をさらに進んで鹽竈神社の参道前へ

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    震災時に津波は表参道までは来なかったそうですが、東参道の入口は浸水しました

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    鹽竈神社といえば表参道のコレでしょう

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    表参道


    202段の階段。勾配もそこそこ急ですが神倉神社に比べたら登りやすい

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    随神門


    随神門を通って拝殿へ

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    鹽竈神社 拝殿


    全国にある鹽竈神社の総本社
    御祭神は塩土老翁神、経津主神、武甕槌神

    正面の拝殿には右宮と左宮があり
    右宮には経津主神(千葉の香取神宮の御祭神)
    左宮には武甕槌神(茨城の鹿島神宮の主祭神)
    どちらも国譲りの神話に出てくる神で武神や勝ち運の神としても信仰があります
    主祭神の塩土老翁神はここではなく隣の別宮に祀られていて塩の神、導きの神、知識の神などとして信仰されています

    右宮と左宮は伊達氏が遥拝できるように仙台城の方を向いて造営されていて、
    別宮は海難を背負うようにと海を背に西向きに造営されたと言われています

    鹽竈神社の創建時期は不明ですが奈良時代以前、文献には平安時代802年の物に神社の事が記されています
    陸奥國一宮として東北鎮護や海上守護として信仰され、多賀城に国府が置かれた時には鬼門を護る役割も担っていたそうです

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    銅鉄合製飾燈籠

    伊達家九代藩主の周宗が蝦夷地警備から無事に帰還した事への感謝から1809年に寄贈した燈籠)に寄進した燈籠

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    稲荷社、住吉社、八幡社、神明社

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    御神木

    樹齢600年を超える大杉

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    東神門


    鹽竈神社の隣に鎮座している志波彦神社へ

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    志波彦神社


    御祭神は志波彦大神

    延喜式神名帳に記載されている3132座の中で224ヶ所しかない名神大社の1社
    昔は仙台市宮城野区岩切の八坂神社境内に鎮座していたそうですが、
    明治7年に鹽竈神社の別宮に遷座して昭和13年に現在の場所に社殿が造営されました

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    神社前から市街地を

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    帰りは東参道を利用して本塩釜駅へ

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    本塩釜駅から仙台に戻ってこれで宮城の旅は終わり
    本当に色々と感じることが多かった。宮城県内の津波被災地としては亘理地区や石巻、女川等全てを見れてません
    そう思うとまたタイミングがあれば、あるいは作ってでも来ようかなと思います
    ただどこに行くにも直ぐに震災の時はと考えてしまうのが今思うと悔しいのでその時は上手く切り替えながら行けるといいな

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