蔵王とキツネとあの場所へ(その1)
2014年08月12日
神戸空港ー仙台空港が就航、ならばあれとあれとあれに行こう
という事でやってまいりました宮城県
今回は車がちょっと必要な場所があったので友人に悪魔の囁きをしてry
囁きの要因は2日目なんですが、車だし行きたい所へと言っていただいたので
将来予定でもあった東日本大震災の被災地の現状を知りたいので宮城県の沿岸を走っていただきました
とはいえ時間が限られてるので車窓からみるという事が多くなってしまいましたが、、、
まず、名取市閖上地区へ
仙台東部道路をくぐった辺からなんか周りの様子が一変、さらに進むとなんとも…
前日の11日に除幕が行われた慰霊碑
慰霊碑は亡くなった方が天に昇ってゆく冥福と、そして地域の復興、
再び豊かな大地になるようにと植物が芽生えているのを表現しています
そしてこの場所を襲った津波の高さ8.4mと同じ高さとなっています。
よく、というか殆どで「高さ○○mはビルの○階と同じ」って表されてるけどそんなもんじゃなかった
圧倒的というかこの高さが横に広がって…と想像しただけでもとてつもない圧倒感
周囲に建物が無いからいっそう圧倒感があったのかもしれないけど、それはなんか違うんだよなぁ
慰霊碑の近くにある標高6mの日和山
頂上には閖上湊神社と富主姫神社が鎮座しています
被災前、日和山山頂には閖上湊神社の末社である富主姫神社が鎮座していましたが、
津波はこの日和山の高さを超えてさらに内陸へ
閖上湊神社は町内の商店街の中心に鎮座していたそうですが、そちらも津波により全て流出
そして閖上の復興の祈願をするという事から日和山に閖上湊神社と富主姫神社を合祀して再建されました
ここに街があって暮らしがあって、
色々と思うこととかあったりしてこのまま1日ここに居てもいいようなそんな感じにとらわれそうに。
さすがにそういうわけにも行かないので次の地域へと移動します
来る時とは違う道で地区を通りながら移動したのですが未だに残っている建物や痕跡が多い事に驚きました
閖上地区の慰霊碑の周辺は震災メモリアル公園として整備される予定だそうです
南三陸町志津川地区へ
チリから贈られたモアイ像
1960年のチリ地震津波、その30年後に復興と友好の証として南三陸町がふるさと創生事業の一環として
チリ人彫刻家に依頼して創ったイースター島のモアイが志津川地区の松原公園に設置されていました。
しかし今回の津波により流出して頭部だけが志津川高校敷地内で発見(これは現在志津川高校に居ます)
その後、日智経済委員会チリ国内委員会が新たなモアイを贈ろうとイースター島の長老会に協力を求めて贈られたのがこのモアイ
イースター島の石で彫られたモアイが島外に出たのはこれが初めてで、しかも目が入っているのは世界に2体だけという貴重なモアイになります
モアイといえば香川県の企業が無償でイースター島にクレーンとかを持ち込んで修復した話もありますね
2006年には再びクレーンを寄贈もされているとは
登米の方向から志津川に入ったのでこの時はまだ海側を見ていません
商店街から海側へと進みます。
夏ということもあって草がかなり背が高く広がっていましたが、ここに何かがあったというのは感じが伝わってくる
ベイサイドアリーナや役場のあるところから荒島へ
荒島は周囲約2km、標高46mの島で島へは歩道が設置されて渡る事が出来ます
歩道の両サイド、足元の照明かと思いましたが欄干の跡でした
先端は叩いて曲げられてましたがそれでも生々しい威力が分かる
歩道を進むと遠目からでも赤い何かあるのは見えてたんですが何かがわからず
徐々に近寄って何かがわかった瞬間に驚いて声をあげてしまいましたが、鳥居の脚
これが…
島への階段も真新しく見えたのはその部分が壊されていてその先は古い階段
確実にあの高さまで波が来たのだと
御祭神は錦津見神、豊玉姫命、金山彦神、金山姫神、大物主神、市杵島比売命
住吉から嵐町域の漁民からの信仰があった弁天宮があったそうですが廃絶
荒島の何歩にある弁天島といわれる島に一石祠を遺すのみとなったものの昭和30年にチリ地震津波が発生
その後の都市計画によって木浜地区にあった金刀比羅大権現、八大龍神、鹽竈神社、山神社、山上、素戔男大神
を荒島の弁天宮に合祀して荒嶋神社を創建し、昭和36年11月に社殿を新築して鎮座祭が行われました
社殿へは横から入ってきたんですが、正面には鳥居と参道がありました
参道は続いているようですが草がかなり覆い茂っていたので鳥居をくぐるだけ
(後日調べると険しい道になって海辺に繋がっているらしいです)
荒島を後にして北上します
右の奥の方に清水浜駅、そして気仙沼線の橋梁があってその向こうには集落がありました
今は手前の方に民家が1軒、神社が1社(おそらく久須志神社)、元橋梁付近にコンビニ1件は確認できました
そして何よりも走っているとこんな看板が設置されているんですよね
ぇっ、って思う位置に設置されてたり
特に海の見えないしかも海まではまだかなり坂を下っていくような場所にあったりと見る度に驚き
もしそんな内陸に当時居たとして逃げていたかと考えたけどここまでは来ないだろうって思っていますね確実に…
さらに北上していると目に止まる物と大きめの鳥居が神社が見えて駐車スペースもあったので立ち寄り
立ち寄ったのは南三陸町歌津の伊里前地区
アゴヒゲアザラシのタマちゃんに続くようにここにはワモンアザラシが現れて歌津の地名からウタちゃんと名付けられて世間を賑わせてましたね
後から知りましたがこの鳥居は補修工事がされたものの津波にのまれてながらも倒れることなく耐えた鳥居
御祭神は事代主神
1337年に葛西氏の臣千葉刑部行胤の勧請されたそうです
そして参道の階段から伊里前地区を
海の方には歌津大橋が架かっていましたが津波によって破壊されてしまいました
橋脚等の一部が残るだけとなっていましたが既に撤去
水門の隣には・・・
伊里前福幸商店街を経由して駅の方へ
気仙沼線の歌津駅はここから山の方へ坂を登って行きます
BRTは左の坂を登ってここから気仙沼線の路線を走ります
歌津駅はぱっと見る限り運休によって草が生えてるように見えますが津波はここの線路等をのみこんでいます
来た道を戻り、小学校の下へ
この謎の通路は一体何なのか、
通じる道は小学校の名前が刻まれた石門があったのであの位置までは行けず
ここの右の一帯は駐車スペースになっていたんですが、後日調べたらここには公民館がありそこの2階に通じてる通路の跡
公民館は今は解体撤去されましたが特殊工法が用いられた木造で津波を耐えました。って木造で耐えるって凄い
この地区の津波は14.4m、上写真の坂の上には小学校があってそこの1階部分まで浸水しています
この地区で津波を撮影されていた方の記録がネットに公開されていたので見させていただきましたが、
あの間近での津波の速さは恐ろしい…
伊里前から再び北上を続けます
撤去されているように見えてもやはり未だに爪あとは残ってます
それとかさ上げの土砂を運ぶダンプも多いです
復旧が進んでいるように感じるけどまだまだこれからという様な場所もありとても複雑
本吉駅に到着
本吉駅自体は津波の被害はなくそのままBRTの駅としても使われています
もっともここから南へは気仙沼線のルートですがここから北は一般道に入ります
ホームは現在使われていないので草で覆われていますが見る限りではホームは綺麗
本吉駅周辺は海に近いけど高台になるので津波などの被害は無し、
この地域は…と思ってたら駅の西側の方は津波の被害があったという事を後日知りました
駅の東方向が海なんですが津波は南側の津谷川を遡上するように内陸へ、そして駅の西側の地区まで到達したそうです
仙台に戻る時にその付近は通ったんですが日が落ちかけで気付かなかった、、
本来はこの本吉駅で折り返して戻る予定だったんですが、気仙沼まで行こうという事になりさらに北上
そして気仙沼駅に来ました
気仙沼までとなると時間的にキツくなるので本吉からは途中などでは立ち寄らず全て車内から見るって事になりましたが
元々はここまで足を伸ばす予定はなかったので仕方ないか、、
車内から見るだけでも相当な物を受けたのでまた時間を見つけて来たいです
岩手県の沿岸も見てみたいというか知りたいですし、そしてまた数年してから訪れたい
伊里前地区に寄った時には感じていたんですが同じ南三陸町でも志津川に話題が集中してしまっているせいか同じ町内でも温度差を感じてしまいました
もっとも同じ市町村とかいう括りにするもの変な事かもしれないですが、同じ津波の被害なのになぜだろうか
今日も知らない事が感じれればと思ったけど、見えて無かった事が多すぎるなって実感しました
でもこの日の工程だけで知ったつもりにはならないようにはしたいです
しかし全国系報道とかは良い所しかしてないという事は確信しましたが…
そして気仙沼から仙台市方面に戻って1日目は終了
その2へ
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神戸空港ー仙台空港が就航、ならばあれとあれとあれに行こう
という事でやってまいりました宮城県
今回は車がちょっと必要な場所があったので友人に悪魔の囁きをしてry
囁きの要因は2日目なんですが、車だし行きたい所へと言っていただいたので
将来予定でもあった東日本大震災の被災地の現状を知りたいので宮城県の沿岸を走っていただきました
とはいえ時間が限られてるので車窓からみるという事が多くなってしまいましたが、、、
まず、名取市閖上地区へ
仙台東部道路をくぐった辺からなんか周りの様子が一変、さらに進むとなんとも…
慰霊碑
慰霊碑は亡くなった方が天に昇ってゆく冥福と、そして地域の復興、
再び豊かな大地になるようにと植物が芽生えているのを表現しています
そしてこの場所を襲った津波の高さ8.4mと同じ高さとなっています。
よく、というか殆どで「高さ○○mはビルの○階と同じ」って表されてるけどそんなもんじゃなかった
圧倒的というかこの高さが横に広がって…と想像しただけでもとてつもない圧倒感
周囲に建物が無いからいっそう圧倒感があったのかもしれないけど、それはなんか違うんだよなぁ
慰霊碑の近くにある標高6mの日和山
日和山
頂上には閖上湊神社と富主姫神社が鎮座しています
閖上湊神社と富主姫神社
被災前、日和山山頂には閖上湊神社の末社である富主姫神社が鎮座していましたが、
津波はこの日和山の高さを超えてさらに内陸へ
閖上湊神社は町内の商店街の中心に鎮座していたそうですが、そちらも津波により全て流出
そして閖上の復興の祈願をするという事から日和山に閖上湊神社と富主姫神社を合祀して再建されました
日和山の山頂から
ここに街があって暮らしがあって、
色々と思うこととかあったりしてこのまま1日ここに居てもいいようなそんな感じにとらわれそうに。
さすがにそういうわけにも行かないので次の地域へと移動します
来る時とは違う道で地区を通りながら移動したのですが未だに残っている建物や痕跡が多い事に驚きました
閖上地区の慰霊碑の周辺は震災メモリアル公園として整備される予定だそうです
南三陸町志津川地区へ
南三陸さんさん商店街
チリから贈られたモアイ像
モアイ像
チリ人彫刻家に依頼して創ったイースター島のモアイが志津川地区の松原公園に設置されていました。
しかし今回の津波により流出して頭部だけが志津川高校敷地内で発見(これは現在志津川高校に居ます)
その後、日智経済委員会チリ国内委員会が新たなモアイを贈ろうとイースター島の長老会に協力を求めて贈られたのがこのモアイ
イースター島の石で彫られたモアイが島外に出たのはこれが初めてで、しかも目が入っているのは世界に2体だけという貴重なモアイになります
モアイといえば香川県の企業が無償でイースター島にクレーンとかを持ち込んで修復した話もありますね
2006年には再びクレーンを寄贈もされているとは
BRTの志津川駅
登米の方向から志津川に入ったのでこの時はまだ海側を見ていません
商店街から海側へと進みます。
夏ということもあって草がかなり背が高く広がっていましたが、ここに何かがあったというのは感じが伝わってくる
ベイサイドアリーナや役場のあるところから荒島へ
志津川漁港方面
袖浜漁港方面
荒島は周囲約2km、標高46mの島で島へは歩道が設置されて渡る事が出来ます
歩道
先端は叩いて曲げられてましたがそれでも生々しい威力が分かる
歩道を進むと遠目からでも赤い何かあるのは見えてたんですが何かがわからず
徐々に近寄って何かがわかった瞬間に驚いて声をあげてしまいましたが、鳥居の脚
島への階段も真新しく見えたのはその部分が壊されていてその先は古い階段
確実にあの高さまで波が来たのだと
荒嶋神社
御祭神は錦津見神、豊玉姫命、金山彦神、金山姫神、大物主神、市杵島比売命
住吉から嵐町域の漁民からの信仰があった弁天宮があったそうですが廃絶
荒島の何歩にある弁天島といわれる島に一石祠を遺すのみとなったものの昭和30年にチリ地震津波が発生
その後の都市計画によって木浜地区にあった金刀比羅大権現、八大龍神、鹽竈神社、山神社、山上、素戔男大神
を荒島の弁天宮に合祀して荒嶋神社を創建し、昭和36年11月に社殿を新築して鎮座祭が行われました
社殿へは横から入ってきたんですが、正面には鳥居と参道がありました
(後日調べると険しい道になって海辺に繋がっているらしいです)
荒島を後にして北上します
清水浜駅付近
今は手前の方に民家が1軒、神社が1社(おそらく久須志神社)、元橋梁付近にコンビニ1件は確認できました
そして何よりも走っているとこんな看板が設置されているんですよね
特に海の見えないしかも海まではまだかなり坂を下っていくような場所にあったりと見る度に驚き
もしそんな内陸に当時居たとして逃げていたかと考えたけどここまでは来ないだろうって思っていますね確実に…
さらに北上していると目に止まる物と大きめの鳥居が神社が見えて駐車スペースもあったので立ち寄り
立ち寄ったのは南三陸町歌津の伊里前地区
アゴヒゲアザラシのタマちゃんに続くようにここにはワモンアザラシが現れて歌津の地名からウタちゃんと名付けられて世間を賑わせてましたね
三嶋神社
1337年に葛西氏の臣千葉刑部行胤の勧請されたそうです
そして参道の階段から伊里前地区を
海の方には歌津大橋が架かっていましたが津波によって破壊されてしまいました
橋脚等の一部が残るだけとなっていましたが既に撤去
水門の隣には・・・
伊里前福幸商店街を経由して駅の方へ
BRTの歌津駅
気仙沼線の歌津駅はここから山の方へ坂を登って行きます
歌津駅
BRTは左の坂を登ってここから気仙沼線の路線を走ります
歌津駅はぱっと見る限り運休によって草が生えてるように見えますが津波はここの線路等をのみこんでいます
来た道を戻り、小学校の下へ
通じる道は小学校の名前が刻まれた石門があったのであの位置までは行けず
ここの右の一帯は駐車スペースになっていたんですが、後日調べたらここには公民館がありそこの2階に通じてる通路の跡
公民館は今は解体撤去されましたが特殊工法が用いられた木造で津波を耐えました。って木造で耐えるって凄い
この地区の津波は14.4m、上写真の坂の上には小学校があってそこの1階部分まで浸水しています
この地区で津波を撮影されていた方の記録がネットに公開されていたので見させていただきましたが、
あの間近での津波の速さは恐ろしい…
伊里前から再び北上を続けます
撤去されているように見えてもやはり未だに爪あとは残ってます
それとかさ上げの土砂を運ぶダンプも多いです
復旧が進んでいるように感じるけどまだまだこれからという様な場所もありとても複雑
本吉駅に到着
本吉駅
本吉駅自体は津波の被害はなくそのままBRTの駅としても使われています
もっともここから南へは気仙沼線のルートですがここから北は一般道に入ります
ホームは現在使われていないので草で覆われていますが見る限りではホームは綺麗
駅を横切る道から
本吉駅周辺は海に近いけど高台になるので津波などの被害は無し、
この地域は…と思ってたら駅の西側の方は津波の被害があったという事を後日知りました
駅の東方向が海なんですが津波は南側の津谷川を遡上するように内陸へ、そして駅の西側の地区まで到達したそうです
仙台に戻る時にその付近は通ったんですが日が落ちかけで気付かなかった、、
本来はこの本吉駅で折り返して戻る予定だったんですが、気仙沼まで行こうという事になりさらに北上
そして気仙沼駅に来ました
気仙沼駅
気仙沼までとなると時間的にキツくなるので本吉からは途中などでは立ち寄らず全て車内から見るって事になりましたが
元々はここまで足を伸ばす予定はなかったので仕方ないか、、
車内から見るだけでも相当な物を受けたのでまた時間を見つけて来たいです
岩手県の沿岸も見てみたいというか知りたいですし、そしてまた数年してから訪れたい
伊里前地区に寄った時には感じていたんですが同じ南三陸町でも志津川に話題が集中してしまっているせいか同じ町内でも温度差を感じてしまいました
もっとも同じ市町村とかいう括りにするもの変な事かもしれないですが、同じ津波の被害なのになぜだろうか
今日も知らない事が感じれればと思ったけど、見えて無かった事が多すぎるなって実感しました
でもこの日の工程だけで知ったつもりにはならないようにはしたいです
しかし全国系報道とかは良い所しかしてないという事は確信しましたが…
そして気仙沼から仙台市方面に戻って1日目は終了
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