蔵王とキツネとあの場所へ(その2)
2014年08月13日
蔵王キツネ村
友人に悪魔の囁きをして宮城行きを決行したのはこれがry
ここは公共交通機関では到達難易度が高い場所、
タクシー嫌いなので1人で行くとすれば遠刈田か七ヶ宿あたりから歩けばいいんですが、
それだといつ決行するかが分からないので思い切って狐の囁きをしたら即決していただきましたヽ(゚ω゚)ノ
開園前に到着しましたが既に車がちらほら
受付で注意説明を受けていざ。
触れるのりちゃん
そして放し飼いゾーンへ
広いぞ、広いぞwwww
ちょっとした公園的なものかと思ったらそんなもんじゃなかった
神社
その神社にももちろん狐が
狐塚と言われる大小6つの岩があってそれを狐が食料の貯蔵や勢力の弱い狐、賢い狐などが住んでいたとか
この近くにある川原子ダムのある青沢川一帯はナラやブナの原生林が広がっていて豊富な食べ物があったようです
春から秋にかけて狐火が見られたらその年は必ず豊作になりその地域の人々はその狐火を歓迎したんだとか
若いのとご老体
ご老体が休んでたら若いのが来て追い出されてしまいました
降りる高さをもしっかり確認してたのがなんとも
虫か何かを一生懸命捕まえようとしている狐
近くには一生懸命穴掘りをしている狐も居て
じーっと見てたらこのドヤ顔である
/ドヤァ\
じゃれあってるのも
人間の休憩所
この放し飼いゾーンではお触り厳禁なので餌やりもこの中から外に投げる形式です
神社の近くには若い狐の区画
人に慣れてるというよりまだ好奇心の塊に近いのかもな
キツネの屋外食堂
時には取り合いの喧嘩もしてたり、あの下段にあるエサ入れの中に入ってる賢い?のも居たり
一通り回って出ようとしたら門番が
門番が居なくなった隙に外へ
外でのりちゃんに触らせてもらって
我慢できずに子狐のだっこ体験と&記念撮影。
写真に映るのが嫌なのに自らカメラを依頼したとか本当にテンションがおかしかったと思います
抱いた感じ、犬と違って華奢
そう思っててもかぐったりする力が強いので爪が出ると結構なもので。
抱いている間は骨格チェックしたりとか色々とチェックしてました
もう最高でした(;゚∀゚)=3ハァハァ
これでぐりふは、犬・梟・熊・狐は触ったことあるけど猫は触った事が無いという称号を手に入れました
そして放し飼いエリア第2回戦へ
半分眠るご老体
人間の休憩所に群がる集団
非常に面白かった
あんなに動きまわったりする姿やまして間近に見れたりするとはなぁ…
場所が場所なだけに一生に一度、これが最後だろうという勢いでしたがまた機会があればとか思うように
この日キツネ村の次に行く場所は前日夜まで無計画でした
せっかく蔵王の麓まで来てるんだから御釜にでもということで御釜へ
前情報でシーズンや連休は御釜渋滞が発生するという情報は知っていたので覚悟しつつ登って行くと案の定、
蔵王ハイライン手前で見事にハマりました(==;
エコーラインからハイラインに入るまでの交差部分まで進んだもののそこから先に進まない
ハイラインの入口手前で詰まるということは駐車場も一杯なんだろうと判断し、そのままエコーラインを山形方面へ
御釜へは車でハイラインを登って近くまで行く方法と、刈田リフトを使っていく方法、それと登山ですか。
今回は刈田リフトを使って御釜へ
刈田岳方面
この先が御釜
熊野岳方面
遮るものがない稜線、つまり風がもろに当たるので寒い、けど標高が高い場所から見る空の色は大好き
過去の噴火によって出来た地表というか谷というか
御釜
湖面
蔵王山の直近の噴火は1940年、御釜が噴火口となった直近噴火の1895年です。
そしてこの日の数日前に蔵王山で火山性微動と火山性地震が増加するという事がありました。
この1か月後に発生した御嶽山の件もあり今ではちょくちょく蔵王をニュースで目にするようになりましたが、
ここは阿蘇と同様、火口まで行きやすい場所でもあるので今後は訪れる側もリスクを意識する必要があるでしょうね
御釜周辺の地面は草木が非常に少なくて剥き出し
刈田岳の方へと向かいます
刈田岳
刈田岳には蔵王刈田嶺神社の奥宮が鎮座しています
蔵王刈田嶺神社 奥宮
御祭神:天之水分、国之水分、蔵王大権現
創建の年代は不明、地方の伝説等には人皇二代緩靖天皇を祀ったとあるそうで
その後、役の小角天武天皇の白鳳八年大和国吉野山に鎮座している蔵王権現である天之水分と国之水分の二柱の御霊を不忘山に奉還して山名を蔵王山に改めたそうです。
その頃から仏教も盛んになってきて神仏習合の頃には蔵王大権現と称されるようになりました
平安朝の末前9年頃に阿部氏が氏神として神殿の改築、戦国時代には出羽領となって領主家臣の甘糟が守護、
その後に伊達が陸奥を治めた時に金華山を鬼門除け、当社を疫門除けとして青葉城を護らせました
明治の神仏分離によって社名を水分神社としたそうですが旧社名の刈田嶺神社と改名して今に至っています
奥宮は冬季には閉山となってご神体は麓の刈田温泉にある里宮はへ、そして夏季に再び奥宮へと遷座しています
刈田岳からの風景もなかなかのもの
熊野岳と御釜
御釜は五色沼とも言われ、奥宮の社務所に御釜の水面の写真が何枚か有りました。
その中でも透き通っているの様な写真が一番印象的でした
レストハウス~御釜~熊野岳
御釜からはエコーラインを山形側に抜けて蔵王温泉に立ち寄って作並街道を使って仙台に戻りました
その3へ
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