ぐりふの隠れきっていない隠れ家

あれが出来る前に石川へ行こう2(その1)
  • その1
  • その2
  • 2015年02月11日

    あれが出来て人が増えてしまう前に行けるところだけでも行っておこうの第3弾

    まずは北陸本線の三セク移行区間でまだ行っていない駅へ

    森本駅

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    駅舎

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    駅名標

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    津幡方面

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    金沢方面


    北陸新幹線の高架下にある駅
    高架の橋脚よりも駅舎の壁の方が白いです
    東口から出てぐるっと西口に迂回する感じで歩きながら戻ってお次へ

    東金沢駅

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    駅舎

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    駅名標

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    金沢方面

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    津幡方面


    そんでもって駅前には新幹線の高架があり、試運転中の新幹線も走ってました

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    これで北陸本線の三セク移行区間の昇降達成
    やろうと思ってから数年越し、まぁ駅周辺の散策を絡めるスタイルだしね。降りて即次ってのは性に合わない
    初めて北陸に足を踏み入れてたのが2009年その頃には金沢近辺は新幹線工事が始まっててそれがやっと開業、そしてどう変わっていくのかが楽しみでもあるんですが、大好きな富山に行くのに大して時間も変わらないのに金沢で乗り換えなくちゃいけなくなるのを思うと絶対に足が遠ざかると思います
    宇奈月以東は金沢乗り換えだとしても便利なんですが、富山、高岡へ行くのは非常に不便。割高になってでも直通は残して欲しかったです・・・

    今回はこの駅制覇と金沢周辺の観光が目的なので金沢駅へ

    金沢駅に到着し、歩いて安江八幡宮へ

    yasuehachiman

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    拝殿

    御祭神:誉田別尊、気長足姫尊、玉依姫尊
    配神:天照皇大神、大国主神、蛭児神
    水天宮:天御中主神、安徳天皇

    939年に創建、1596~1615年に現在の場所へ遷座
    藩政時代には前田加賀藩主や大聖寺藩主に崇敬され、火防や病気平癒を祈られ、また社殿の修繕および祭器具を寄進されています。 神社のある此花町は以前安江鍛冶町と称して、多くの刀鍛冶のいた場所。これら刀鍛冶が水火の伝授を必ず神社で行ったことから今も「鍛冶八幡さん」とも呼ばれています。

    加賀八幡起上り発祥の神社でもあります。
    加賀八幡起上りは八幡大神の誕生の際の真紅の産衣を着けられた姿を写したもので
    昔、氏子の一老翁が八幡宮に参拝して御神像を受けて日夜多幸を祈って広大な御神恩に浴くしたことを深く喜び、 諸人の為に起上りを発案して毎年正月に神前に献じたのを参拝した人が拝受し、 家運反映、健康祈願、厄除け、病気平癒等の御守としてきています。

    狛犬さん

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    稲荷社・むすび社

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    安江八幡宮から金沢駅に戻ってバスでひがし茶屋街へ

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    ひがし茶屋街


    宿場町的な感じかなとか思ってたんですが、まぁ、うん、ぁぁ…

    茶屋街の通りを抜けた先にある宇多須神社へと向かいます

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    宇多須神社

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    御祭神:高皇産靈神、武甕槌男命、大國主神、市杵嶋姫命、大山祇命、八重言代主命、少彦名神、宇迦之御魂命
    豐受大神、崇徳天皇

    毘沙門さんと呼ばれている神社で、金沢の鬼門にあたる位置になります。
    浅野川付近の小丘から出た古鏡の裏面に卯と辰との紋様があり卯辰神として718年に多聞天社として創建されました。 明治に入って現在の尾山神社として創建されて遷座、明治2年に高皇産霊社へと改称、1872年には卯辰社に改称、1900年10月2日に現在の宇多須神社へと改称しました。

    鳥居をくぐった先にある狛犬さん

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    拝殿の横の軒下にはまた別の狛犬さん

    utasu

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    拝殿の左奥へと進むと利常公酒湯の井戸があります

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    利常公酒湯の井戸

    前田利家公を祀る卯辰八幡宮が送検された1599年頃に出来たと伝えられる井戸
    明治まで加賀藩の神社として歴代藩主以下奥方や家老の参拝があり、この井戸の水はご神水とされています。 また、五代目綱紀公が疱瘡にかかった際に祈祷をし、この井戸のご神水を沸かしてお酒を入れて酒湯にして体にかけて治したといわれています

    宇多須神社の向かいに鎮座する末社の東山菅原神社

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    東山菅原神社

    御祭神:菅原道真公

    東茶屋街の鎮守社になります
    1820年に犀川と浅野川の両地にはじめて妓楼を置くことが許され、犀川に石坂町、浅野川には卯辰茶屋町に家屋が建てられ、 その時に観音町西源寺の後に菅原道真を祀り芸妓らの鎮守の神として信仰を集め、その後に現在の場所に遷座しました

    なにかの修復跡が非常に目立つ2体の狛犬さん、能登地震か何かで倒れてしまったんでしょうかね?

    sugawara

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    顔までも破損してたりするのに現役っていうのがいい
    拝殿の脇の軒下には宇多須神社の時と同じく色白の狛犬さん
    こちらも破損が・・・

    sugawara

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    神社をあとにし、歩いて近くにある別の茶屋街、主計町茶屋街へ

    主計町茶屋街に鎮座している久保市乙剣宮

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    久保市乙剣宮

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    拝殿

    御祭神:素戔嗚尊

    創建年は不明、式内等旧記には記載されている事からこの周囲が小坂庄久保市村といわれていた時代から氏神として鎮座しています。 1583年に前田利家が藩主として入城し本格的な城下町の整備を進め、1601年に金沢城東内総構掘築造の際にこの場所が藩士の邸地になり卯辰山へ遷座、 明治に入り1876年に再びこの場所へと遷座しました。社殿は1938年に改築されたものです

    kuboichi

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    主計町茶屋街へと向かいます

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    主計町は1999年まで尾張町2丁目だったそうですが、1999年10月1日に全国で初めて旧町名を復活させて正式に主計町になりました

    主計町を橋の上から

    kazuemachi


    ・・・なんだ・・・京都じゃんか

    って思ったらもう金沢が京都にしか感じなくなってしまって(;´Д`)
    (そういえばインタビューとかでの回答の仕方とかもなんとなく京都の人と似てる気がする)
    ま、金沢は京都と違って密集してギュウギュウに色々なものがかたまってないから散策はしやすいかな

    主計町からはバスで兼六園方面へ

    バス停を降りてすぐの所にある石浦神社

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    石浦神社

    ※境内での撮影写真の公開に規約があったので社号と鳥居からの写真のみ

    御祭神:大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神、天兒屋根大神、市杵島姫大神、誉田別大神

    547年に草創され金沢最古の宮として三輪神社として創建され、神仏習合の時代には石浦山慈光院長谷寺と改称、 江戸時代には石浦山王や石浦大権現となって明治の神仏分離令でこの地の地名から石浦神社と改称されました。
    境内には広坂稲荷神社や末社の金刀社、かわせ社、水社、本多社があります
    拝殿の左奥には広坂稲荷神社(御祭神:宇迦之御魂神、蛭子神、木乃花咲耶媛)があり、この時は遷座祭が行われていました

    石浦神社から歩いて金澤神社へ

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    金澤神社

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    奉納稲荷鳥居

    平成20年8月に前田家の鎌倉邸から稲荷社御分霊と共に移築奉納された鳥居。
    その移築の際には他に御神鏡、掛け軸、稲荷石像、御神像、観音石像、手水鉢、絵馬など二十一品が奉納されたそうです

    ここからでも参拝にいけますし、池を迂回して正面から参拝することも出来ます

    kanazawajinja

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    いぼをこすると、いぼが取れるといわれている、いぼとり石

    kanazawajinja

    いぼとり石

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    神門

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    拝殿


    御祭神:菅原道真公、白蛇竜神、白阿紫稲荷大明神、琴平大神、前田斉広公、前田斉泰公

    加賀藩11代藩主の前田治脩が1794年に藩校明倫堂を建てた際にその鎮守社として前田家の先祖の菅原道真公の御舎利を祀る神社が創建されました。 その後、兼六園が整備されるに際に藩校は移転、神社は12代藩主の前田斉広の時に建てられた竹沢御殿の鎮守として災難除けの神の白蛇竜神、商売繁盛の神の白阿紫稲荷大明神、交通安全の神の琴平大神を合わせて祀るようにまりました。

    白蛇龍神は雄雌二体の白火蛇といわれ、一体は金沢神社、もう一体は城中に祀られていましたが戦後に城内の一体も神社に祀られるようになって今は二体とも本殿に祀られています。 毎月1日には白蛇さんの日とされていて御神体を御開帳し、開運厄除けの祈願が行われています。毎月1日に御開帳されるのは雄の一体で正月だけ雄雌二体とも御開帳されます。

    kanazawajinja

    kanazawajinja

    板屋神社遥拝所

    360年前に当時としては、画期的な技術で金沢城へ用水を引いた「板屋兵四郎」を祀っている板屋神社の遥拝所です

    金澤神社から歩いてすぐの成巽閣へ

    seisonkaku

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    成巽閣

    加賀藩13代藩主前田斉泰によって母である眞龍院の為に1863年に兼六園の一隅に建てられた建物で、国重要文化財に指定されています。

    群青の間の青色はとても綺麗だった・・・

    成巽閣から金沢城公園のバス停へ、そんで本日最後のスポットである藩士の屋敷跡

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    長町武家屋敷跡

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    京都の小路
    日没も近くて雨で濡れててたせいか迷いこんだような感覚でかなりkの路地をぶらぶら堪能してしまいました
    乾いてたりしたらスタスタと歩いて終わってたと思う

    長町武家屋敷跡にある足軽資料館へ

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    足軽資料館

    藩政時代の足軽屋敷を移築再現し、内部は足軽の生活などに関する展示など資料館として公開されています。

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