北陸本線 津幡~入善(その1)
2014年09月20日
北陸本線の三セク以降区間の駅制覇の総仕上へ
今回は津幡~入善の間で残っている場所を重点的に狙ってきました
まずは滑川駅
向かいのホームのさらに向こうには富山地鉄の滑川駅
駅前からまーっすぐ進んで海沿いの公園へ
オフシーズンにほたるいかミュージアム
受付の方に今の時期はホタルイカ居ませんよと念押しされましたがそれは承知の上。
生体いうかそういうのを知りたかったのでね
ホタルイカは3月~6月の期間に漁が行われます
富山湾は、日本海側最大の外洋性内湾で水深は急激に深くなっていて海底は深い谷になっています。
湾はだいたい水深300mから深いところで1000m以上、さらに陸や海流などいろいろな要因があってとても魚などが豊富な湾
ただ海底の地形から寄り回り波という冬の日本海の荒波がそのままの強さでやってくるそうで度々沿岸が被害を受けています
2008年に入善などでこの寄り回り波の被害が発生しています
ミュージアムを見終わってから海沿いへ
そして駅に戻って次の駅へ
魚津駅
魚津駅は貨物扱いがあったので本当に広い、毎回通る度に広い駅だなぁといつも思ってた駅
昔は地鉄の新魚津駅と跨線橋で行き来できたようですが、今は駅を出て地下道を利用する形になっています
昔は近くの工場から魚津駅に専用線があってその跡地
さらに歩いて、魚津埋没林博物館へ
埋没林は世界各地にあり火山灰や火砕流、河川の土砂の堆積、地すべりや海面上昇など様々な要因があります
魚津埋没林は約2,000年前の河川の氾濫と海面上昇よって埋没した過ぎ原生林の跡
魚津港を建設する際に数多く出土して今も多く埋蔵されています。大きなものでは幹の直径が2mで樹齢が推定500年以上の物があります
埋没林は育成していた頃の場所が地下に密閉保存されているので、木以外にも種子や花粉あるいは昆虫なども含まれているので過去の自然環境を知るのに重要な手がかりとなっています
入善の方では沖合に1万年前の森林の立ち木がそのまま残っている海底林があるそうです
それとこの付近は蜃気楼ロードとして蜃気楼が見える場所としても有名です
テーマ館の屋上展望台から360度ぐるーっと展望
魚津埋没林博物館から歩いて諏訪神社へ
御祭神:建御名方神 大山咋神 事代主神
この辺は信州地方との交易が盛んで信濃の諏訪本宮に豊漁を願って御を奉納する習慣があった事から諏訪本宮から分霊をされたのが始まり。 その頃は沖合に鎮座していたそうです。
後に天正の頃に魚津城主の河田豊前守が社殿を再建したものの波の影響で再び無くなり、1634年に別の場所に再興したものの境内が狭くなったために明治6年8月17日に現在の加賀國金沢藩魚津塩倉跡に正遷座しました
昭和7年6月17日に日吉社を合祀して諏訪神社と改称、平成7年6月12日には別の諏訪社を合併されています
祭事の「たてもん祭り」は重要無形文化財に指定されています
道を挟んで直ぐ向こうは海
拝殿お隣に何かの社殿があったような跡地が
そしてそこに居た1体だけの狛犬さん
諏訪神社から魚津駅に向う感じでコースどりをしつつ、魚津神社に参拝
主祭神:天照皇太神
相殿神:建御名方命、菅原大神、倉稲魂命、彦火火出見命 素盞嗚尊、 大市比売命、建速須佐之男命、櫛名田比売命
702年に日栖宮という社名で創建、その後に神明社となりました。
天文年間に上杉謙信が魚津を攻めた際に戦火で廃社、それから魚津城主の河田豊前守が社殿を再建しました。 さらに加賀藩主の前田家家臣が魚津城代となった際に社殿が増築されています。
昭和31年9月10日に魚津大火と言われる火災被害で金屋町の「稲荷社」、村木町の「火之宮社」、金浦町の「杵築社」、新金屋町の「市姫社」が被害に遭い御神体のみを搬出して他全てが焼失した為、この五社を合祀
昭和40年に現在の社殿を建て、この時に魚津城の鬼門除けの守護神である建速須佐之男命と櫛名田比売命を併せて祀って魚津神社へと改称して翌年には大町小学校にあった愛宕社も遷座されています
一対の狛犬さんが寄り添ってたり
こう並べてるのは初めて見ました
魚津駅に戻って今日最後の駅、入善駅へ
そしてこの日は高岡まで戻って1日目終了
その2へ
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北陸本線の三セク以降区間の駅制覇の総仕上へ
今回は津幡~入善の間で残っている場所を重点的に狙ってきました
まずは滑川駅
駅舎
駅名板
黒部方面
富山方面
向かいのホームのさらに向こうには富山地鉄の滑川駅
駅前からまーっすぐ進んで海沿いの公園へ
駅方面
オフシーズンにほたるいかミュージアム
受付の方に今の時期はホタルイカ居ませんよと念押しされましたがそれは承知の上。
生体いうかそういうのを知りたかったのでね
ホタルイカは3月~6月の期間に漁が行われます
富山湾は、日本海側最大の外洋性内湾で水深は急激に深くなっていて海底は深い谷になっています。
湾はだいたい水深300mから深いところで1000m以上、さらに陸や海流などいろいろな要因があってとても魚などが豊富な湾
ただ海底の地形から寄り回り波という冬の日本海の荒波がそのままの強さでやってくるそうで度々沿岸が被害を受けています
2008年に入善などでこの寄り回り波の被害が発生しています
ミュージアムを見終わってから海沿いへ
そして駅に戻って次の駅へ
魚津駅
駅舎
駅名板
黒部方面(跨線橋から)
富山方面(跨線橋から)
黒部方面
富山方面
向こうには富山地鉄の新魚津駅
魚津駅は貨物扱いがあったので本当に広い、毎回通る度に広い駅だなぁといつも思ってた駅
昔は地鉄の新魚津駅と跨線橋で行き来できたようですが、今は駅を出て地下道を利用する形になっています
昔は近くの工場から魚津駅に専用線があってその跡地
さらに歩いて、魚津埋没林博物館へ
魚津埋没林は約2,000年前の河川の氾濫と海面上昇よって埋没した過ぎ原生林の跡
魚津港を建設する際に数多く出土して今も多く埋蔵されています。大きなものでは幹の直径が2mで樹齢が推定500年以上の物があります
埋没林は育成していた頃の場所が地下に密閉保存されているので、木以外にも種子や花粉あるいは昆虫なども含まれているので過去の自然環境を知るのに重要な手がかりとなっています
入善の方では沖合に1万年前の森林の立ち木がそのまま残っている海底林があるそうです
それとこの付近は蜃気楼ロードとして蜃気楼が見える場所としても有名です
テーマ館の屋上展望台から360度ぐるーっと展望
魚津埋没林博物館から歩いて諏訪神社へ
諏訪神社
御祭神:建御名方神 大山咋神 事代主神
この辺は信州地方との交易が盛んで信濃の諏訪本宮に豊漁を願って御を奉納する習慣があった事から諏訪本宮から分霊をされたのが始まり。 その頃は沖合に鎮座していたそうです。
後に天正の頃に魚津城主の河田豊前守が社殿を再建したものの波の影響で再び無くなり、1634年に別の場所に再興したものの境内が狭くなったために明治6年8月17日に現在の加賀國金沢藩魚津塩倉跡に正遷座しました
昭和7年6月17日に日吉社を合祀して諏訪神社と改称、平成7年6月12日には別の諏訪社を合併されています
祭事の「たてもん祭り」は重要無形文化財に指定されています
道を挟んで直ぐ向こうは海
拝殿お隣に何かの社殿があったような跡地が
そしてそこに居た1体だけの狛犬さん
諏訪神社から魚津駅に向う感じでコースどりをしつつ、魚津神社に参拝
魚津神社
拝殿
主祭神:天照皇太神
相殿神:建御名方命、菅原大神、倉稲魂命、彦火火出見命 素盞嗚尊、 大市比売命、建速須佐之男命、櫛名田比売命
702年に日栖宮という社名で創建、その後に神明社となりました。
天文年間に上杉謙信が魚津を攻めた際に戦火で廃社、それから魚津城主の河田豊前守が社殿を再建しました。 さらに加賀藩主の前田家家臣が魚津城代となった際に社殿が増築されています。
昭和31年9月10日に魚津大火と言われる火災被害で金屋町の「稲荷社」、村木町の「火之宮社」、金浦町の「杵築社」、新金屋町の「市姫社」が被害に遭い御神体のみを搬出して他全てが焼失した為、この五社を合祀
昭和40年に現在の社殿を建て、この時に魚津城の鬼門除けの守護神である建速須佐之男命と櫛名田比売命を併せて祀って魚津神社へと改称して翌年には大町小学校にあった愛宕社も遷座されています
愛宕社
一対の狛犬さんが寄り添ってたり
魚津駅に戻って今日最後の駅、入善駅へ
駅舎
駅名板
富山方面(跨線橋から)
糸魚川方面(跨線橋から)
黒部方面
糸魚川方面
駅前
そしてこの日は高岡まで戻って1日目終了
その2へ
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