紀勢本線(串本~新宮)と神社(その2)
朝だーーーー

橋杭岩と朝日
日の出に目が覚めたものの水平線付近は雲がかかってました
2日目の最初は宇久井駅

紀伊勝浦方面

新宮方面

駅舎

この付近は同じような駅舎ですな
目指すは宇久井神社
小学校の隣にあるというのだけを記憶してぶらぶら
無事に到着

主祭神は蛭子大神
配祀神は素狭男神、應神天皇、軻過突智神、保食神、天照皇大神、熊野速玉大神
境内社は護國神社、猿田彦神社、大山祇神社
それと神社庁のページで知ったんですが石祠(庚申)、忠魂碑、石祠(山の神)も境内社になるんですね
さらに1707年の津波で神具だけ残して他全てが流失し祭式が中絶していたという歴史もあるそうで・・・
神社の境内は山の中にあるイメージだったんですが、明るく広い境内

狛犬さん


参拝をしてそろそろ移動をと思っていると地元の方が参拝に来られて色々とトークタイム
1日と15日は欠かさず参拝されているそうで、その間にも地元の方が入れ替わるように参拝に来られていました
地元の方と分かれて集落を歩き海側へ
向かったのは狐島
狐島にある稲荷神社

案内板によると、
昔、この島に村人を困らせていた大蛇がいて、あるときどこからか来た白狐がその大蛇を退治
そして村人がこの白狐を島の神として祀ったと言われています
小さな社ですが、毎年旧暦の1月に豊漁を祈願する例祭が行われています

神社の階段から見る宇久井の集落

神社下では小学生が元気よく遊ぶ姿が印象的でのどかな場所でした
狐島から駅へ

次は紀伊天満の予定でしたが、時間は過ぎてましたのでその次の目的地へ
紀伊佐野駅

駅の北側の踏切を渡って山の方へ

たんぼー

なんか道があってるんだかどうなんだかわかんなくなりつつも
とにかくあの神社っぽい木々の所に行けば大丈夫だというよくわからない自信で歩いていたら
天御中主神社に到着

主祭神は天御中主神
配祀神は武南方大神、八坂刀売神、天照大神、仁徳天皇
境内社は金刀比羅神社、櫻木神社、猿田彦神社、大山祗神社、稲荷神社、下諏訪神社、王子神社
色々な時代背景の影響で鎮座地が転々と変わり、1677年に現在の場所へ遷座してきたそうです

拝殿前にいる狛犬さん


こちらは参道を抜けた所にいる狛犬さん

阿の方は下顎が欠損されてました(´・ω・)

駅方面に戻って佐野王子跡へ

ここは熊野古道の大辺路、
交通量が多い道路沿いにあるので古道という雰囲気はないですが・・・
次の三輪崎駅へと思いましたがちょうど昼間、
宇久井の地点でかなり日に当たり、ここでもかなり日に当たり
この状態で次もまた歩くのは危険だと感じて王子跡の隣にあるショッピングセンターで完全に落ち着くまで休憩
もう無理してまで回るのも楽しくないので三輪崎をキャンセルして繰り上げ調整な感じで再開
宇久井の次に来る予定だった紀伊天満駅へ

紀伊勝浦方面

新宮方面

駅舎

駅の目の前にある天神社

主祭神は菅原道真公、配祀神は金山彦神、保食神、倉稲魂神
境内社は八幡神社、地主神社、蛭子神社、那智護国神社
駅の北側にある参道から

鳥居の隣には大津波記念の碑という物が・・・
昭和19年の東南海地震で発生した津波の碑だそうです
紀伊天満駅からお隣の那智駅へ

紀伊勝浦方面

新宮方面

駅舎

那智勝浦にはちょくちょく着てるけど那智駅に降りたのは初めて
いつも紀伊勝浦からバスだからなぁ
駅前から北に鎮座する熊野三所大神社

浜の宮王子跡

熊野三所大神社 拝殿

祭神は熊野権現三神である夫須美大神、家津美御子大神、速玉大神
浜の宮大神社とも呼ばれています
隣にある補陀落山寺

天台宗の寺院で浜の宮王子の守護寺
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としても登録されています
渡海船

補陀落山寺といえば補陀落渡海が行われていた事でも知られてます
平安から江戸時代頃まで約1ヶ月分の食料を積み込んで浄土を目指すというもの
外に出られないように外から釘などが打ち付けられて海へ出るという・・・
住職が61歳になった際に行われていたそうですが、
江戸時代あたりからそれも無くなって住職が亡くなった際に水葬という形で行われていたそうです
参拝後は湯川に向かおうかなと思ってましたが、
海岸で休んでるともうこのまま終了しようという気になってしまい、
そのまま帰りの最終まで海岸のベンチに座って本を読んで帰りました
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